韓服


デザイナー


「チョルリクワンピース」


で革新を起こした


韓服界のシャネル


차이 김영진(差異 キム・ヨンジン) / Tchai Kim
김영진(キム・ヨンジン)氏

結局私の韓服は、キム・ヨンジンという人が見る視点と世界観、
韓国観、自分のアイデンティティを通じて作るもの。
韓国的であることにこだわりすぎず、
もっとグローバル的な視点を持ちたいと思います。


Q:まず差異というブランド名から、我々の雑誌AIMが追求していることとの関連性を感じます。
:このような雑誌があることは、とても意味あることだと思います。以前デザイナーの会合で、アジア的なもの、韓国的なものは何だろうという話し合いをしたときのエピソードを聞きましたが、ある先生が一言でこう表現してくれたようです。丘がありそこに一人立っています。それはなぜでしょう。さまざまな答えが飛び交いましたが、答えはただ立っているだけ。韓国の美とはそういう自然さであると。とても詩的な表現で、その通りだと思いました。しかしながら、置かれているだけで自然体にはなれません。それが私もいつも悩んでいることでした。中国と日本、韓国の文化とはどう違い、どう変化したのか。それは結局、プリズムのようなものです。同じ五方色が伝わってもその国のプリズムによって解釈が異なります。結局は個人ですよね。同様に、人を通じて韓服も変わってきます。韓服の伝統も常に変化し、17、18世紀もその時代に合わせたファッションだったはずです。しかし植民地時代を経て、韓服の伝統と流れが屈折しました。なぜなら、着ることができなくなったからです。私はその時代にとても興味があり、私たちがずっと着ていたらどうなっていたのだろうと考えました。そのアイデンティティを探し自分化することで、失くした時代を復旧させたかったのです。ただそうするためには自分自身のフィルタリングがとても大事だと。結局私の韓服は、キム・ヨンジンという人が見る視点と世界観、韓国観、自分のアイデンティティを通じて作るもの。韓国的であることにこだわりすぎると国主的になりがちなので、もっとグローバル的な視点を持ちたいと思います。真の芸術に触れると感動を受けますよね。言葉を知らなくても涙を流すのは、その真実が伝わるからだと思います。デザイナーの仕事も同じことだと思います。


Q:「差異 キム・ヨンジン(以下、差異)」と「Tchai Kim」の二つのブランドがありますが。
:三清洞(サムチョンドン)がTchai Kimの直営店で、ここは両方を扱うオートクチュールの場所です。差異を10年ほど続けてからTchai Kimを立ち上げましたが、Tchai Kimは1年でとても成長しました。その成長により、グローバルの可能性を感じました。差異では伝統婚礼に力を入れており、個人的には1930年から1940年代の開花期が好きでそのエッセンスを入れています。西洋の文明が入ったときに韓服はどのように変わったのか、もちろんそれまでの韓服も綺麗だったけれど、時代に応じてよりファッショナブルに変わっていったと思います。その変化して行く姿が率直で女心を刺激しました。韓服に西洋の靴を合わせる、それが時代性です。伝統を守る巨匠の皆さんからは違うとおっしゃる声も聞こえますが、私の基準点は美学的観点です。Tchai Kimの場合は差異のアイデンティティに基づいて16、17世紀の韓服も作りますし、素材もより自由に選びます。とにかく、10年以上伝統韓服である差異がなければTchai Kimはなかったでしょう。


Q:開花期をモチーフとした花柄のビビットなチョゴリもとても綺麗ですね。
:ちょうどヴィクトリア&アルバート博物館に16世紀の韓服をテーマに3着オーダをいただいて納品したばかりです。韓服に対する関心も次第に大きくなり、とてもプレッシャーを感じますが、民族や国家主義に煽られて作業したくはありません。デザイナーとして実力で勝負しないとグローバルなブランドは作れないと思いますし、私は小さくても深いブランドを作っていきたいです。韓国には100年以上続くブランドがないですよね。伝統に基づき、時代性を反映したコンテンポラリー的要素が反映されたDNAを持つ、少数であってもその人たちが感嘆する服を作りたいです。


Q:おっしゃる通り最近韓服に対する関心が国内外でも高くなった気がします。
:そうですね。でも一つ心配なのは、服はもちろんのこと、全てのものには費用とクオリティーが比例するということです。私も海外で韓服を着用する機会がありますが、外国人が韓服を綺麗だと思う理由は、それが伝統だとは知らないからだと思います。伝統服は面白いとは思われるかもしれませんが、共感は得られません。ユニークかもしれませんが、私も着てみたいとは思わないと思います。他者化されたからです。例えば、家族には本音も言うしたまには傷つけることもあるけど、他人であればそこまでしませんよね。私がモダンなレースの韓服を着ていると、海外の人も着てみたいと共感します。それはクオリティーが高いからです。ユニークで面白い伝統を見せても、それはあなたの文化でしょうと言われる。ハイクオリティなものを見せることがとても大事。それにはディテールと芸術魂が必要です。


Q:最近では海外旅行で韓服姿の写真を撮って自分のSNSに載せる人が多いですね。
:私はそれを10年前からやっていました。韓服を着てお茶をする姿をブログにあげたり、韓服パーティーを主催したり。それが今ようやく実を結び始めていると実感しています。なにより、10年前と現代の若者の考えが違いますね。以前は海外のブランドが最高だと思う若者が多かったのですが、今は文化的成長やアイデンティティも形成されるようになり、私たちの文化を楽しむようになった。それは年月の力だと思います。


Q:しかしながら、今回の取材を通して、何かがものすごい力で動いていて、まとまっていない感じをうけました。
:철릭(チョルリク)1ワンピースのパクリ騒動もありました。私の製作する韓服は生活韓服でなくコンテンポラリー韓服です。時代に合わせた韓服なのでハイクオリティのアイデンティティを持っており、針繊などにも自分なりの基準点を持っています。しかし、偽物あるいは真似する人たちはその基準点がないのですね。チョルリクというのは昔からあったのにも関わらず、なぜ専有物にするのかと言われましたが、それは全く違います。法古創新2と言いますか。チョルリクは武官たちが着ていたものですが、それを応用してワンピースを作りました。確かにそのパターンや韓服のアイデンティティの要素を抜き出してはいるものの、それはキム・ヨンジンというデザイナーが作ったものです。例えば、ヴィヴィアン・ウエストウッドはアンティークをファンキーに再解釈しましたよね。では、アンティークを素材にしたからと言ってヴィヴィアンの仕事ではなくなりますか?違いますよね。それと同じです。チョルリクをモチーフにワンピース化し、美しい線とパターンを5年かけて製作しました。それをチョルリクは昔からあったものだからと言って真似して販売するのは間違っていると思います。最初は弁理士を通して対応しようとも思いましたが、非生産的なシチュエーションに力を注ぐのは嫌だったので、対応しないことにしました。


Q:真似されるということが既に世間にTchai Kimのチョルリクが認められたことだと思います。
:そうですね。私は自分のスタイルを確立しましたし、デザイナーとしての大きなピリオドは打てたと思います。私の名前はチョルリクで知られることになりましたが、本当にやるべきことはまだまだたくさんあると思います。


Q:最近の若者はスマートですし、いずれか分かってくれると思います。しかし、ハイクオリティのものは一般、あるいは若者の手に届きにくい部分もありますよね。この韓服ブームを嬉しく思う反面、混乱もあります。
:そうですね。そうした部分は認めながら、ハイクオリティのものを多様に提供できるようにすべきだと思います。確かに今はブームが起こり始めていますが、最後に残った人が真実性を持った人々であればいいなと思います。ブームに乗って要領の良い人が残るのは危険ですから。私も伝統の先生方に散々怒られてきましたが、仕事に対しては全力投球でやってきたので根が強いと自負します。デザイナーは博士や教授の仕事ではないけれど、本質を知らなければならない仕事です。そのため、人文学の勉強をしてきました。昔は韓国劇をやる「연희당 거리패(ヨンヒダン ゴリペ)」という劇団に所属し、오태석(オ・テソク)先生や이은택(イ・ウンテク)先生などといった恩師と出会いました。イ先生の元で長く演劇をやっておりましたが、そこで韓国的な演劇とは何かとたくさん討論しましたね。韓国の発酵文化は他国にも影響を与えましたし、日本植民地支配という歴史も韓国戦争も、歴史の一部だと学びました。しかし韓国、韓国ばかり言って屈折したプリズムで韓服を作りたくはありません。


Q:韓国劇の経験が先生の世界観に影響を与えたとは興味深いです。韓服界で影響を受けた方はいらっしゃいますか。
:私はジン・テオク先生3を一番尊敬しています。韓服の方ではありませんが、一番韓国的なデザイナーだと思います。先生の哲学は韓国というのを全面に出さなくても、ディテールや素朴な節制から韓国的な情緒を感じられます。今は80歳を過ぎましたが40年以上ファッション界で戦いながら現在も一生懸命生きていらっしゃいます。私はファッション韓服のジン・テオク先生のような存在になりたいです。そして、ソ・ヨンヒスタイリストも欠かせません。あの方もコーディネーターという仕事のスターの鞄持ちのような既存のイメージから、独自のスタイルを作り、韓服スタイリングの基盤を作りました。クオリティーに対してはとてもうるさく、妥協しない方です。そのような先輩方に恵まれて、プロの作業やライフスタイル、アイデンティティなどを拝見しました。私も今後ももっと勉強しなければならないと痛感します。


Q:チョルリクという新しいものを開拓された姿からは、哲学を感じます。とても美人ですし、トレードマークの赤いリップがとても印象的です。まるで韓服界のシャネルのようなイメージを受けます。
:哲学だけは確実にあります(笑)。今回のMusée des Arts décoratifs(パリ装飾芸術美術館)での私の担当したテーマは「赤」で、チマの移り変わりをまとめました。キューレーターにもとても感動的だと言われたので、やり甲斐を感じました。そういえば、イギリス女優のティルダ・スウィントンさんがTchai Kimの服を買ってくれました。雑誌の撮影でTchai Kimの服が使われたので彼女に似合いそうな藍色のダポ4を一つプレゼントしたら、シャネルの服とミックスマッチして着てくれて、梨泰院(イテウォン)などでたくさん写真を撮られたのですね。今は私のミューズのような存在です。ルイヴィトンの韓国ミューズを務めているベ・ドゥナさんも常連の一人です。若手パンソリ5のイ・ジャラム氏とは意気投合し、彼女がパンソリをやる際に私が衣装を担当しています。彼女は私の精神的なミューズですね。基本的に私は俳優の協賛はやりません。無意味だと思うし、本当に真価を分かってくれる人は自分で買って着ますから。


Q:若い頃に韓国劇をなさり、他の仕事を経て韓服に辿りついたということですが、韓服との繋がりはいつからあったのですか。
:姉がリトルエンジェルス芸術団6に入っており、美少女コンテストで入賞するなどとても可愛かったのです。それに比べて、私は男の子のように育てられました。髪型も韓服も男の子用でしたね。姉が韓服を着て舞踊をしている姿がとても綺麗で印象深く、幼心に自分も韓服を着たら姉のように綺麗になるのかな、と思ったのです。そのときから韓服に対する記憶がありました。たぶん、姉は綺麗なのに……という劣等感から始まったんだと思います。それで、姉のタンスから出して一人で着たり、踊ってみたり。演劇の道に進んでからは韓国的なものを追求し、韓国舞踊の名人を尋ねて踊りを教えてもらいながら、韓国に対して真剣に考える先生方に出会うことで、私も目覚めたんだと思います。そして、演劇だけではだめだと思っていたところ、偶然ファッション界に入ることになりました。ルイヴィトンで働いた頃は、システムや伝統と革新というキャッチフレーズについてたくさん勉強させてもらいました。買い付けのために出張へ行くと、日本から10人、中国からは5人、韓国は私一人だけ。なんだか寂しいなと思いながらも、それが韓国そしてアイデンティティについて色々考えるきっかけになりました。その後結婚したのですが、夫が出張を嫌ったので仕事を辞めて専業主婦をやっていた時期もあります。しかし仕事から離れると日常がとてもつまらなくて、もどかしい思いをしているときにソウル市の無形文化財のパク・ソンジェ先生に出会い、韓服を学び始めたのです。それが33、34歳辺りでしたね。


Q:決して早くはなかったのですね。これから新たな第一歩を踏み出そうとする人たちへメッセージをお願いします。
:実は私は自分が追求したことをやり遂げたことが一度もありません。演劇をして俳優の夢も見たけれど経済的な理由から諦め、それからファッション界に入り、結婚をして専業主婦になるのも失敗、偶然韓服の世界へ転身しました。しかし振り返ると、今までの失敗があったから今の私と仕事があると感じます。演劇をしなかったら韓国への関心が生まれなかったと思いますし、韓国的なものに対する審美眼がなかったら韓服の仕事はできなかったと思います。そして夫が出張を嫌がらなかったら韓服にも出合えなかったでしょうね。そういった状況が重なった結果、今の私が生まれたのです。そして他の韓服デザイナーと違う点は、私がファッション界でバイヤーの仕事をしていたことです。バイヤーの仕事は生地についても詳しくなければなりません。そこで勉強した知識が私のグローバルな韓服を製作する基盤となったと思います。私の長所は、能力は足りないけど、最善を尽くしたいと思うこと。最高になろうとは思わないけど、仕事をくれた上司をがっかりさせないように一生懸命頑張ったからこそ、今に繋がったのだと思います。しかし結果的にはいつも失敗していましたけれどね (笑)。


Q:今は韓服に出合い、望んだ道を進まれていますから幸せですよね。
:そうでもないですよ。個人的な限界やプライベートなヒストリーも色々あるし。もどかしくて周易の先生を訪ねたこともありました。先生は自分の置かれた状況をあまり悲観的に考えるな。80%の人が歩む道が正しいと思うな。貴方は違う道を歩む運命だからそれを受け入れなさいと。そのときにある演劇の台詞を思い出しました。人生というのは自分をきちんと背負っていくものなんだ。誰でも自分の役割があり、その重みに耐えていくのが人生なんだと。その台詞と周易の先生の話が重なり、それまで自分の望み通りにはならず失敗した人生だと思っていたけれど、今後私の道だと言えるものに辿り着くまでの経過点なのだと思うようになりました。演劇は共同の仕事ですが私は自分の主張が強いほうだと分かりましたし、今では演劇よりも韓服の仕事が私に合っていると思います。演出家の言うことに従うことが苦手でしたから(笑)。


Q:アイデンティティについての悩みが多かったという話からもそうですが、作品からも少し変わった反骨精神も感じられます。
:ソ・ヨンヒ先生から言われたのは、アルマーニばかりあると面白くない、マークジェイコブスのようなユーモアも必要だと。私も韓服にユーモアも見せたいし、エロティックな部分、グロテスクな部分など、表現したいものがたくさんあります。それを自分がどう表現するか悩んでいます。私は一人でいるのが好きなタイプです。人と付き合うのも好きですしよく皆と遊びますが、一人の時間を大切にする、必要とするタイプです。一人でご飯を食べる時間も好きだし孤独も必要でした。思春期の頃は友達がスターにハマっているとき、私はジョン・へリン7が好きでしたし、シン・ギョンスク8の『외딴방(人里離れた部屋)』も青春で欠かせない作品です。とても憂鬱な時期でしたが、その繊細さが自分のアイデンティティを形成したと思います。そして30代にファッションの仕事をしたことでビジュアル的に目覚めたと思います。ゴーギャンやルノワールなど印象派の画家が好きでした。人のエネルギーはある日突然変わることはないと思いますが、時期によって必要に応じ少しずつ変化すると感じます。そういえば、韓国劇には必須だったパンソリも20代の頃に学びましたね。沈清歌9を学ぶうちに胸に沸き上がる感情があり泣いていました。そのような経験が韓服を製作する栄養分になっていると思います。既存の絵画界をひっくり返した印象主義は、最初は批判されていたものの、今ではそれが新しい画風として認められますよね。そういうことが自分のことのように感じます。










お姉さんへの劣等感から始まった韓服人生、
今の自分を代弁する自画像だと見せてくれた幼少の写真。
(本誌初公開)